25 小特集 変化への抵抗 討した心理学研究が追試に失敗し ていることは,心理学者にとって は悲報かもしれないが,民主主義 よりマシな政治制度を見つけるこ とができていない人類にとっては 朗報かもしれない(もちろん,進 化的な観点に基づく変数がイデオ ロギーを説明しうるのかを検証す る試み自体は,仮説の成否に関わ らず有用である)。 政治学における イデオロギー研究 心理学のイデオロギー研究から は民主主義への希望を見出せそう にないので,心理学ワールドを後 にして政治学ワールドへと出掛け よう。 心理学と方法論の共通性が高い 政治行動論や世論研究の分野にお いては,イデオロギーは主として 個別の争点を束ねる軸として扱わ れる。たとえば,人々が保守・リ ベラルというイデオロギーを持っ ており,保守であれば同性婚や国 民皆保険に反対,リベラルであれ ば賛成といった形で,イデオロ ギーに応じた政治的態度を保有す るということになる。 し か し,Converse(1964) が 明らかにしたように,イデオロ ギーに基づいて政治を理解して いる米国の有権者は少数であっ た。彼による自由回答の分析によ れば,多くの一般有権者は,白人 と黒人といった集団,自身が興味 心理学では,他の研究対象を扱 う場合と同様に,イデオロギー についても生物としてのヒトが 持つ普遍的な特徴と捉える傾向が 強い。そして,進化の観点を適 用し,ヒトのイデオロギーを形 作った究極因を探ろうとする。イ デオロギーという概念が用いら れるようになってから,たかだ か200年程度しか経過していない ことを考えると,進化という観 点を持ち出すのは一見奇妙であ る。しかし,イデオロギーという 概念が確立する以前から人々の間 に(自然的)保守主義が存在して いたといった議論は,すでに英国 の政治家ヒュー・セシル卿によっ て,19世紀初頭には行われてお り(Cecil, 1912/1979),心理学が 主たる対象としてきたのは,ヒト が自然に持つイデオロギーだと考 えれば,合点がいく。 一方で,これらの研究が社会に とって「厄介」なのは,基本的に は有権者の態度変容の余地がない ことを示す試みだということであ る。進化的な説明は,なぜ人々が イデオロギーに拘泥し,社会が分 断してしまうのかを説明すること はできても,異なるイデオロギー を持つ者同士が議論を行い,政治 的立場を変化させるような民主主 義的プロセスは想定しづらい。近 年,生物学あるいは進化の観点か らイデオロギー対立の究極因を検 民主主義を採用する社会におい ては,異なる政治的立場を持つ 人々の議論により政治的な決定が なされる。最終的には多数決に委 ねるとしても,少数派にも意見表 明の機会が十分に確保されてお り,議論の過程で人々の意見が変 化し支持を逆転する可能性がある からこそ,敗者も決定を受け入れ る。 これが民主主義のあるべき姿だ が,実態がそうとは限らないのは, 国内外の政治ニュースを見れば, 嫌でも痛感させられる。政治家も 有権者もイデオロギーに拘泥し, 立場が異なるものに耳を貸しはし ないのである。保守イデオロギー を持つ者が変化に抵抗するのは当 然かもしれないが,それに対置さ れるリベラル,革新といったイデ オロギーを持つ者も同様に自らの 立場を簡単には変化させない。 心理学における イデオロギー研究 心理学においても,米国で有権 者の政治的分断が問題となった 2000年代以降に,イデオロギー の研究が目立つようになった。た とえば,集団への協力や同調の 程度(Claessens et al., 2020),道 徳 的 基 盤(Haidt, 2012), 病 原 体を回避する傾向 (Tybur et al., 2016)などが個人のイデオロギー と関連することを明らかにしてい る。
政治的イデオロギーにおける
変化への抵抗
関西学院大学社会学部 教授稲増一憲
(いなます かずのり) Profile─ 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(社会心理学)。武 蔵大学社会学部助教などを経て現職。関西学院大学社会心理学研究センター長を兼 務。専門は社会心理学・政治心理学。著書に『政治を語るフレーム』(単著,東京大学出版会)など。26 を持つ特定の争点,候補者の容姿 といった非政治的要因によって政 治を捉えており,保守・リベラ ルといった概念を用いてはいな かった。また,有権者の争点態 度はイデオロギーによって統合 されておらずバラバラであった。 Converse(1964) の 知 見 を 覆 す ことは幾度となく試みられたもの の,基本的には現代においても, 米国以外のたとえば日本の現状に おいても,あてはまる知見といえ る。このことを考えると,米国の 有権者は確かに分断しているかも しれないが,イデオロギーに基づ いて分断しているわけではなく, そ れ はDemocrat( 民 主 党 ) と Republican(共和党)という集団 に分かれているだけなのかもしれ な い(Kinder & Kalmoe, 2017)。 そして,日本でイデオロギーに基 づく分断が米国ほど激しくないよ うに見えるひとつの原因は,二つ のイデオロギーと二つの政党と いった対応関係が明確ではないか らかもしれない。 人々がイデオロギーを理解して おらず争点態度がバラバラ,とい うのは,人々の政治的態度の変化 しやすさを意味するともいえる が,人々がイデオロギーではなく 政党という集団に拘るのも,それ はそれで厄介である。有権者の政 党への帰属意識は,幼少期からの 政治的社会化というプロセスに よって長期的に培われるため,簡 単には変化しない (Campbell et al., 1960)。 「変化への抵抗」への抵抗 有権者の分断の背景に,イデオ ロギーという概念が提出される遥 か以前にヒトが身に着けた自然的 イデオロギーがあるにせよ,(イ デオロギーではなく)長期的に培 われた集団への帰属意識があるに せよ,それを変化させるのは容易 ではなく,分断を乗り越えること がいかに困難であるかが分かる。 一方で,政治学における別の研 究群は,我々がなすべきことを考 えるひとつのヒントを提供してい るかもしれない。それは,たとえ 一般有権者が政治の専門家と同じ 形でイデオロギーを理解していな くとも,保守・リベラルといった イデオロギーのラベルがヒューリ スティックとして機能すること で,詳細な知識を持たずとも政治 家とコミュニケーションを行う ことが可能となり,理にかなっ た選択を行うことができるとい うものである(e.g. Sniderman et al., 1991)。なお,心理学における ヒューリスティック概念は不完全 な情報に基づくバイアスという側 面が強調されるが,政治学に導入 された際に不完全な情報に基づい て妥当な推論を行うというポジ ティブな側面も強調されるように なった。 考えてみれば,「イデオロギー に基づく分断」の構造は変わらな くとも,分断の程度は時代によっ て変わる。対立や分断が比較的浅 い時期もあれば,深い時期もあ る。このひとつの原因は,政治家 たちがいかに政治争点を提示する かというコミュニケーションだと いえる。 イデオロギーを政治家と一般有 権者を繋ぐコミュニケーションの ツールと捉えるならば,抵抗すべ きはヒトが持つ性質そのものでは なく,あくまで,それを利用して 分断を煽るコミュニケーションと なる。前者に比べると,後者への 抵抗には,まだ希望が持てる。 そのためには,ヒトがどのよう な性質を持つかを知ると同時に, 具体的な政治コミュニケーション の中でイデオロギーがどのように 表現されるかを知ることが肝要で ある。政治家や政党が用いるレト リックを暴くことは,硬直化した 有権者同士の分断を解きほぐす鍵 となり得る。これは単一の学問分 野では到底成し得ない。政治分野 における変化への抵抗に抵抗する ことは,学問分野の壁を超えて取 り組むべき大きな課題であろう。 文 献
Converse, P. E. (1964). The nature of belief systems in mass public. In D. E. Apter (Ed.), Ideology and discontent (pp. 206–261). Free Press.
Cecil, H. (1912). Conservatism. Williams and Norgate[セシル/ 栄田卓弘 訳 (1979)『保守主義とは 何か』早稲田大学出版部] Campbell, A., Converse, P. E., Miller,
W., & Stokes, D. (1960). The American voter. University of Chicago Press.
Claessens, S., Fischer, K., Chaudhuri, A., Sibley, C, G., & Atkinson, Q. D. (2020). The dual evolutionary foundations of political ideology. Nature Human Behavior 4(4): 336-345.
Haidt, J. (2012). The righteous mind: Why good people are divided by politics and religion. Pantheon. Kinder, D. R., & Kalmoe, N. P. (2017).
Neither liberal nor conservative: Ideological innocence in the American public. University of Chicago Press.
Sniderman, P. M., Brody, R. A., & Tetlock, P. E. (1991). Reasoning and choice: Explorations in political psychology. Cambridge University Press.
Tybur, J. M., et al. (2016). Parasite stress and pathogen avoidance relate to distinct dimensions of political ideology across 30 nations. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 113(44): 12408-12413.